あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。(詩篇139篇16節)

1.イザヤ書463節―13
2.エペソ人への手紙13節―6
3.黙示録2011節―15

近年医学の発達によって誕生する前から、胎児が男の子か女の子か知ることができるような時代になりましたが、母の胎に宿り、この世に誕生するまでの間の記憶が私たちにはないのではないでしょうか。しかし、この世に誕生し年月を重ね、さまざまなことを経験する中で、自分のことは自分が一番知っていると思いがちですが、それでもなお、心理学が「自分らしさを見つける」とか「自分発見の旅」と提唱するように、実は自分でも気づかない自分の存在というものがあることを人は潜在意識の中に持っているのではないでしょうか。しかし、イザヤ書46章3節―4節は「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいるときからになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。」と、神である主は私たちが母の胎内に宿ったときから、私たちが生まれる前から、私たちの存在を知っておられるだけでなく、いつも共におられることを語っています。しかも、今日の聖句が「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」と語っているように、主は永遠の方であり、第三の天から見ておられますから、私たちがこの世に誕生してからこの世を去るまでの間、ちょうどアリが隊を組んでぞろぞろ歩いている先頭もしんがりも私たちは上から見ているので一度に見ることができるように、私たちにとっての過去も現在も未来も、すでに見ておられるので、私たちの全生涯の歴史はすでに主の書物に記録されていることを語っているのではないでしょうか。ところで、「あなたの書物」すなわち「主の書物」について、黙示録20章11節―13節は「また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物が開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。」と、語っています。ところで、イエス様は「父はさばきを行う権を子に与えられました。子は人の子だからです。(ヨハネの福音書5章27節)」と、さばく方はイエス様ご自身であることを語っています。イエス様を信じる者の全生涯の罪の罰はイエス様が十字架で背負ってくださったので、全生涯の罪は赦されており、永遠のいのちが与えられているだけでなく(ローマ人への手紙6章23節)、称賛が届くことを(コリント人への手紙 第一 4章4節)感謝するとともに、罪に定められないようにとりなして祈ってくださるイエス様を、全生涯の罪が主の書物に書かれていることをご存じない世の人々のために祈ろうではありませんか。