見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。(イザヤ書12章2節―3節)

1.詩篇631節―8
2.ヨハネの福音書4章3節―29
3.ヨハネの福音書737節―29

健康を保つためには水を毎日2リットル(ペットボトル500ccの4本分)を飲むように言われていますし、のどが渇きは危険信号を発している状態であることを聞いたことがあります。科学者は人が生きることができる惑星が地球以外にあるかどうかを探索機を送って調べていますが、その惑星に水があるかないか、がいつも問われているように、人は生きるために水が不可欠であることを知っておられるからではないでしょうか。イエス様はサマリヤの女性に「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。(ヨハネの福音書4章13節―14節)」と、御自身をパンにたとえられて「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)」と仰せられました。ソロモンは「人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていようと考えた。」と言ってこの世の様々な分野を探索しましたが、「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。」とこの世が与えることができるのはむなしさしかないことを語るとともに「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れ、神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」と神がどんなに偉大な方であるかを考え、みことばにいきることが大切である、という結論を出しました。心が飢え渇きを覚えた時には、信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目が外れているという危険信号を聖霊様が発しているのではないでしょうか。心の飢え渇きを覚えた時、今日の聖句「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。」を思い起こし、罪や死、神の裁きから救われていることを、この世が与えることのできない永遠のいのちがイエス様によって与えられていることを喜び、人類の救いを完成するために御子をお遣わしくださった神に感謝して生きようではありませんか。