まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。(詩篇107篇9節)

1.詩篇348節―10
2.ルカの福音書146節―55
3.ヨハネの福音書632節―35

ヘブル人への手紙4章12節が「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」と、語っているように、人は物質的ないのち、すなわち肉体だけでなく、霊とたましいからなっていることを語っています。ところで、ペテロは「愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。(ペテロの手紙 第一 2章11節)」と、たましいが欲に支配されるという危険にさらされることを語っています。この世が与える満足感は一時的なものであるだけでなく、この世にあるものは肉の欲、目の欲や誇りであるために、「向上心」という名のものとに、それが良いことのように思わされ、常に何かを求め続けながら生きてしまうのではないでしょうか。イエス様はサマリヤの女性に「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。(ヨハネの福音書4章13節―14節)」と、「わたしはいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)」と仰せられました。今日の聖句「まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。」はイエス様によって成就されました。飢え渇きを覚えるとき、罪や死の解決、永遠のいのちを与えてくださったイエス様から目を離して、この世に目が向いているのではないでしょうか。パウロが「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のためにこころを用いてはいけません。(ローマ人への手紙13章14節)」と勧めているように、キリストにある者として生きようではありませんか。