地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。(イザヤ書45章22節)

1.列王記 第二 18章1節ー19章34節
2.マタイの福音書1422節―32
3.ヘブル人への手紙12章2節―13節

パウロは「もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。(コリント人への手紙第二2章10節―11節)」と、サタンの策略に陥らないように、赦すことにおいても赦す人に目を留めるのではなく、主を目の前に置いて赦すことを語っています。ヒゼキヤは高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシュラ像を切り倒し、ヒゼキヤの時代までモーセの作った青銅の蛇をネフシュタンと呼んで香をたいていたので、彼はそれを打ち砕き主に堅くすがって離れることをなく主を信頼していたのでした。アッシリヤの王がラブ・シャケを遣わして「大王、アッシリヤの王のことばを聞け。・・ヒゼキヤが、主がわれわれを救い出してくださると言って、おまえたちをそそのかしても、ヒゼキヤに従ってはならない。国々の神々が、だれが、自分の国をアッシリアの王の手から救い出しただろうか。ハマテやヘナやイワの神々はどこにいるのか。彼らはサマリヤを私の手から救い出したか。国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出しただろうか。主がエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか。」と大声で呼ばわりましたが、民は一言も答えず、黙っていたのでした。ヒゼキヤが「彼に答えるな。」と民に命じていたからでした。ヒゼキヤは再度アッシリヤ王からの脅しの手紙が届いた時、ヒゼキヤはその内容を読んでから主の宮に上って行き、それを主の前に広げて「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。・・主よアッシリヤの王たちが、国々と、その国土を廃墟としたのは事実です。彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手のい細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ。あなただけが神であることを知りましょう。」と祈ると主はイザヤを遣わして、アッシリヤの手から救われることを約束されたのでした。十円玉をかざすと太陽が十円玉で見えなくなってしまうようにサタンの策略は神と神の偉大さを忘れさせることにあるのではないでしょうか。今日聖句が「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」と勧めているように、ヒゼキヤのように、主がどんなに偉大な方であるかを認識して主を仰ぎ見て、主の救いを待ち望んで生きようではありませんか。