主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。(詩篇11篇7節)

1.歴代誌 第二 1節―24
2.詩篇161節―9
3.詩篇258節―15
4.ローマ人への手紙8章15節ー16節

ソロモンは「私は再び、日の下を見たが、競争は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。しかも、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、わなにかかった鳥のように、人の子らもまた、わざわいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってしまう。(伝道者の書9章11節―12節)」と「日の下」すなわち、この世は保証のない世界であることを語っています。ですから、多くの苦難に会ったパウロは「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への手紙 第一 10章13節)」と世の人々と同じような試練に会うけれども、そのさじ加減は主がお持ちであり、解決の道があることを語っています。イエス様は弟子たちに「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネの福音書16章33節)」と、キリスト者であっても苦難に会い悩むようなことがありますが、世に勝っているイエス様のことを考えて「勇敢でありなさい」と、すなわち恐ないように仰せられました。イスラエルの民は前方には紅海、後方からはエジプト軍と、エジプトに連れ戻される奴隷の道しかないように思われましたが、主は紅海を二つに分けられて逃れの道を開かれ、イスラエルの民が対岸に渡り終えた後で海水を戻さたので、エジプト人はひとり残らず溺死したのでした。今日の聖句「主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。」を心に据え、どんな状況下にあっても、ちょうど幼子が助けを求めて親の顔を見るよう、罪人のためにいのちを捧げられ、常に私たちを助けようとされている主の御顔を仰ぎ見て生きようではありませんか。