神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。(詩篇147篇11節)

1.ネヘミヤ記111節―28
2.詩篇3313節―22
3.詩篇1305節―8

今日の聖句「神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。」は、神である主が好むものと、好まないものがあることを語っています。興味深いことに、車の出力は何馬力あるかによってその性能がはかられるようですが、車に限らず「馬の力」、すなわち「馬力」が力の象徴であり単位として、科学や医学が発達した今でも使われていることを不思議に思います。万有引力を発見したクリスチャンの科学者アイザック・ニュートンは「私は海辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。」と、話されたそうですが、科学や医学の発達にともない、実際は神が創造されたものの一部を発見したにすぎないのにもかかわらず、創造者なる神を認めずに、人間の知恵を誇っているのではないでしょうか。ところで、パウロは「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません(ローマ人への手紙86節―8節)」と、ヘブル人への手紙116節は「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださることとを、信じなければならないのです。」と神が喜ばればないことを語るとともに、キリスト者が心得るべきことを語っています。罪を裁く権利と権威をお持ちの神は罪人を罰するのではなく救うために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり十字架の死をもって示された神の愛は人の考えや道理では理解できないほどの圧倒的な力をもっているのではないでしょうか。馬も人も被造物でることを忘れずに、どんな時にも全能なる神である主の偉大さを思い起こし、主を待ち望んで生きようではありませんか。