主は慈しみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。(詩篇25篇8節)

1.イザヤ書2 1節―3
2.ヨハネの福音書141節―6
3.ヘブル人への手紙1014節―23

イエス様は「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅び失せない限り、律法の中の一点一角でも決してすたれることはありません。」と仰せられてから「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。」と話されました。なぜなら、彼らは自分を義人だと自任し、他の人々を見下していたからです(ルカの福音書18章9節)。律法学者とパリサイ人が「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と姦淫の場で捕らえられた女性を連れて来てイエス様に尋ねたので、イエス様は「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と言われました。その結果年長者から始めて、ひとりひとり出て行ったことが、イエス様は女性に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と仰せられたことがヨハネの福音書8章3節―11節にあります。今日の聖句が「主は慈しみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。」と語っているように、神は罪と妥協することはできませんが、御子イエス様を人としてお遣わしになり、十字架の死をもって罪人が救われる道を、新しい生ける道を設けてくださったのでした(ヘブル人への手紙10章20節)。パリサイ人や律法学者のような高ぶりから守られるように、罪人を救うためにご自身をささげられた主がどのように歩まれたかを思い起こして生きようではありませんか。