主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。(詩篇34篇7節)

1.出エジプト記144節―20
2.列王記 第二615節―17
3.ヘブル人への手紙114

かつて、人喰い人種の住むアフリカの地に遣わされた多くの宣教師は殺害されたのですが、何年も経ってからキリスト者になった人喰い人種の人に宣教師が「あなたがたは太鼓を叩いて奇声をあげて私たちの小屋の近くまで来ていたのに、なぜ私たちを襲わなかったのですか。」と尋ねたところ、驚くべきことに「あなたの小屋の周りには白い衣を着た人々が何重にも取り巻いていたので、襲うことができなかったのです。」と言われたそうです。危険を察した宣教師さんたちは主に祈り続けていたのでした。まさしく今日の聖句が「主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。」と、語っているように、主は、御使たちを遣わされただけでなく、御使を見えるようにされ、人喰い人種の人々に救いをもたらされたのでした。主は「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。(マタイの福音書6章13節)」と祈るように教えてくださっています。聖霊がキリストのうちにとどまるように心を守ってくださることもありますし(ヨハネの手紙 第一 2章26節―27節)、御使を遣わして危険から守ってくださることもありますが、ゲッセマネの園でイエス様を捕らえた大祭司のしもべに襲いかかった者に「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使を、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。(マタイの福音書26章47節―54節)」と仰せられました。十字架の死がなければ復活もありませんでした。ヨブに臨んだ試練や病は驚くべきものでしたが(ヨブ記1章ー2章)、ヨブは「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。(ヨブ記42章5節)」と告白しています。パウロもさまざまな試練に会いましたが(コリント人への手紙 第二 6章1節ー10節)、彼は「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への手紙 第一 10章13節)」と語っています。主が主権者であることを心に据え、主は主の時に必要な助けを、救いをもたらしてくださることを信じて生きようではありませんか。