最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強固となる。時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。(イザヤ書60章22節)
1.士師記6章11節―24節
2.コリント人への手紙 第一 1章26節―31節
3.ペテロの手紙 第一5章7節―11節
今日の聖句は「最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強固となる。時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。」と、主の時が来れば、「最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強固となる。」と語っています。「氏族」とは、「祖先を同じくするという認識ののもとに構成される血縁集団」と国語辞典にあります。ところで、ヨハネの福音書1章9節―13節は「すべての人を照らすまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」と、イエス様を信じた者は神の子とされますが、十字架の血によるものであることから血縁関係が成り立つことになります。ですから、キリスト者は氏族とされているのではないでしょうか。聖霊の力に満たされる前は、人を恐れてイエス様を三度知らないといったペテロは「最も弱い者も強固となる」ということを経験した者であることを「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい、神があなたがたのことを心配してくださるからです。・・あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。(ペテロの手紙 第一5章7節及び10節)」と、証ししていますが、「どうか、神の御支配が世々限りなくありますように。アーメン(ペテロの手紙 第一 5章11節)」と祈っています。ペテロの祈りに「アーメン」と同意し、すべてのことに主の時があることを心に据えて、自己評価をせず、主が主の時に私たちを堅固な者としてくださることを感謝して生きようではありませんか。