どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。(テサロニケへの手紙 第二 2章16節―17節)
1.ローマ人への手紙12章19節―21節
2.コリント人への手紙 第二 3節―6節
3.エペソ人への手紙6章10節―20節
パウロが「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することができないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行なっています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。・・・私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。(ローマ人への手紙7 章18節―21節及び24節)」と語っているように、人は善をするときもありますが、時には自分の力ではどうすることもできない肉の思いや肉の力に負けて、心の葛藤を覚えながら生きているのではないでしょうか。パウロは、自分を誇っているような信仰者からは悪口を言われたりもしたのでした。そのような中にあっても、パウロは「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ人への手紙12章21節)」と勧めていますが、その秘訣を今日の聖句「どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」にあるパウロの祈りに見ることができるのではないでしょうか。どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださる主を(コリント人への手紙 第二 1章4節)、心を癒すことのできる主を見上げ(詩篇147篇3節)、主がどのように生きられたかを心に留めて生きようではありませんか(ヘブル人への手紙12章3節)。