働きにはいろいろ種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。(コリント人への手紙 第一 12章6節)
1.使徒の働き10章25節―47節
2.コリント人への手紙 第一 3章1節―8節
3.エペソ人への手紙4章1節―16節
世の人々は他者と自分を比較して自分の立ち位置を知るような生き方をしているのではないでしょうか。しかも会社間だけでなく同じ会社に勤めていても、会社内部においても成績が問われ、同僚でありながら競い合うような状況があるのではないでしょうか。以前、受験に成功して東京大学に入学できて人々から羨ましがられても何学部に入学したかによって評価が異なるために、コンプレックスを抱えてしまう方がおられることを伺ったことがあります。パウロは「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎しみ深い考え方をしなさい。一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。私たちは与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい、勧めをする人であれば、勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。(ローマ人への手紙12章3節―8節)」と、教会はキリストのからだであり、お互いが競い合って成長することや成功を目指すようなこの世のサークルや会社と大きく違うことを指摘しています。今日の聖句が「働きにはいろいろ種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。」と語っているように、他者と自分を比較して「私には賜物がない」などと言って悩むののではなく、預言ができなくても、預言の賜物を持っいる方と同じ神がすべてのキリスト者の心に内住されているのです。からだを考えると目に見える働きと内臓のように目に見えない働きがありますが、健康を保つことができるのは目に見えない内臓の働きが大切なように、目に見える奉仕も大切ですが、人の目にふれない祈りの働きがどんなに大切であるかを旧約聖書も新約聖書も語っているのではないでしょうか。キリスト者はひとりひとりがキリストのからだを構成するひとりひとりであることを認識し、パウロの「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。(エペソ人への手紙6章18節)」という勧めに従ってお互いのために祈ろうではありませんか。