あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。(コリント人への手紙 第一 3章23節)

1.ローマ人への手紙 815節―16
2.コリント人への 第一 619節―20
3.ガラテヤ人への手紙326節−4章7

アグリッパ王から弁明してもよいことを告げられたパウロは「わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たことや、わたしがあなたに示そうとしていることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずからせるためである(使徒の働き26章16節―18節)」と、イエス様から与えられた使命について語っていることばの中に、人は悪魔とも呼ばれるサタンの支配のもとで生きていることを語るとともに、そのような状態から救われる道はイエス様を信じる信仰にしかないことを語っています。なぜなら、人はこの世に生まれてからこの世を去るまでの間罪を積み上げながら生きている者で、一生涯の罪を消すことが不可能であるために、詩篇49篇7節―8節は「兄弟さえも、人は贖い出すことができない。自分の身代金を神に払うことはできない。たましいの贖いの代価は高く、永久にあきらめなくてはならない。」と絶望状態を語っていますが、神は御子イエス様をこの世に人としてお遣わしくださり、私たちの身代わりに十字架にかけられ、ご自身のいのちをもって代価を支払ってくださり、私たちの罪を取り除いてくださっただけでなく、私たちを悪魔の手から買い戻してくださったのでした。コリントの教会の聖徒たちはキリストにあって知識も豊かで証も確かで、どんな賜物にも欠けることがなく主の再臨を待ち望むような模範的なキリスト者のように思えましたが、彼らは「私はパウロに」「私はアポロに」と、「私」に生きていたので教会の中に争いがあったのでした。ですから、パウロはコリントの教会の聖徒たちに「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。(コリント人への手紙 第一 6章19節―20節)」と自分から目を離し、与えられている立場をわきまえて生きることを勧めていますが、その秘訣は今日の聖句「あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。」を心に据えて生きることにあるのではないでしょうか。私たちも自分から目を離し、キリストにある者、神の子とされていることをわきまえて生きようではありませんか。