私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。(コリント人への手紙 第二 13章8節)
1.ヨハネの福音書14章1節―6節
2.ヨハネの福音書15章4節―7節
3.エペソ人への手紙4章17節ー24節
4.ピリピ人への手紙4章8節―13節
イエス様はご自分のことを「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14章6節)」と仰せられましたが、パウロは聖霊を持たずパリサイ人として生きていた時には、神を冒涜していると考えていた律法学者(マルコの福音書2章1節―7節)や大祭司(マタイの福音書26章63節―66節)同様、自分の考えでキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上でイエス様から「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」と言われ、天からの光で照らされ視力を失ったパウロは人々に手を引いてもらわなければならないような状態に陥ったのでした。主はダマスコにいるパウロにバプテスマをさずけ、御霊で満たされるようにパウロのもとにアナニヤを遣わしたのでした。キリスト者になったパウロは「真理はキリストにある」と真理を知る者となり、ダマスコでの経験をもとに「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。」と、語るとともに、「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださるかたによって、どんなこともできるのです。(ピリピ人への手紙4章11節―13節)」と自分に生きるのではなく、キリストに生きることによって開かれる人生を語ったのです。なぜなら、「ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。(コリント人への手紙 第一 1章24節―25節)」と、キリストが真理であることを知っただけでなく、キリストは神の力、神の知恵であることを語っています。ところで、「真理」について、イエス様は、聖霊について、私たちの助け主であり「真理の御霊」と(ヨハネの福音書14章16節―17節)、「真理によって彼らを聖め別ってください。みことばは真理です(ヨハネの福音書17章17節)」と、仰せられました。この世や人の知恵に惑わされず、自分の考えや思いで「私は何もせきない」などとつぶやかずに主の御名によって祈る特権はキリスト者にしか与えられていないのですから、アフリカに行かなくてもアフリカのために祈るなら、その時アフリカでの宣教の働きをしていることを心に据えて、信仰の完成者であるイエス様がいつも、どんなときにもともにいてくださることを心にしっかり据え、聖霊様の助けを得ながら真理のみことばに生きようではありませんか。