私たちすべてのために、ご自分の御子さえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。(ローマ人への手紙8章32節)

1.創世記221節―14
2.マタイの福音書6章27節ー33節
3.ルカの福音書13節ー31節
4.ヤコブの手紙41節―4節

世の人々は、自分にとって何が益となるのかを考え、理想を掲げてそれに向かってまい進するような生き方をしてしまいがちになるのではないでしょうか。しかし、神から与えられた知恵の心と判断する心を与えられたソロモンは「愚かさ」すなわち、人にとって何が必要であるかをよくご存知な創造者なる神を考慮せず偶像崇拝をし、地上のことしか考えないこの世の人々同じように(伝道者の書2章1節―3節)、「日の下」すなわち、この世が与えることのできるすべての分野を探索した結果、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ、神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(伝道者の書12章13節―14節)」と、結論づけました。キリスト者も世と調子を合わせてしまうような生き方をしてしまうと、パウロが「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」と語っているように、神のみこころを求めるよりも世の人々と同じように自我や欲、すなわち自分の考えや思いに支配され満ち足りた心を失い、イスラエルの民のように神に反抗するような生き方をしてしまうのではないでしょうか。イエス様は「祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」と仰せられてから「主の祈り」を教えてくださり、神の国とその義をまず第一に求めるなら、異邦人がもとめているようなものはすべて添えて与えられることを話されました(マタイの福音書6章7節―8節及び33節)。パウロが「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。(ピリピ人への手紙2章14節―16節)」と勧めているみことばに生きるため、今日の聖句「私たちすべてのために、ご自分の御子さえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」を心に据え、本当に必要なものであるなら、神は与えてくださる、という信仰に立って主を信頼して生きようではありませんか。