あなたがたは死者の中から、このキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(ペテロの手紙 第一 1章21節)

1.ルカの福音書2231節―34
2.ヨハネの福音書213節―22
3.ローマ人への手紙818−30
4.コリント人への手紙 第一 1512節―22

人々は神の存在を認めていても、人は神によって創造されたために、その存在を人々は知っていても神は目に見えないために何か漠然としたもので、人には理解できない力や存在のように思われるので、ローマ人への手紙1章22節―23節が「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」と語っているように、知能指数がどんなに高く教養のある人でも人の考えによって祭り上げられている偶像を拝み、お盆には亡くなった親族をお墓に迎えに行き迎え火を焚き、終わりには送り火を焚くようなことをするのではないでしょうか。ところで、ヨハネの福音書1章18節に「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」と、神を知りたいのであれば、また、信じたいのであれば、イエス様自身を見ることと、イエス様が語られたことばを信じる必要があることを語っています。その上、イエス様は「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。(ヨハネの福音書11章25節―26節)」と、死が終わりではなく死後も生き続けることを語りましたが、それを復活によって証明されたのでした。福音書の弟子たちは、イエス様と寝食をともにし、数々の奇蹟を見ただけでなく、神の福音を宣べ伝え、病気を直すために、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための力と権威を授けられ人々に遣わされ、主の御名にどれほどの権威があるかを体験していましたが、イエス様が「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」とご自身のからだのことを言われたのですが、弟子たちは、イエスが死人の中からよみかえられたとき、イエス様が言われたことばを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じたのでした(ヨハネの福音書2章19節―22節)。今日の聖句「あなたがたは死者の中から、このキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」と語ったペテロもそのひとりでした。キリスト者は「信仰」とは何か、死によって無に帰してしまうような「希望」ではなく、死に勝利した永遠のいのちが与えられており、日々の生活だけでなく、やがて天国で永遠に神と共に生き続けるという希望が与えられているのです。そのことを思うとキリスト者は何と幸いな者でしょう。この世の人々が探し求めている答えを持っているのですから。世を羨まずに永遠の栄光の中に生かされていること(ペテロの手紙 第一 5章10節)を感謝して生きようではありませんか。