私たちは肉にあって歩んでいても、肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほど力のあるものです。(コリント人への手紙 第二 10章3節―4節)
1.マタイの福音書8章5節―16節
2.使徒の働き6章1節―10節
3.エペソ人への手紙6章10節―17節
ヘブル人への手紙4章12節が「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」と神のことばの威力について語っていますが、それは今日の聖句の後に続く聖句「私たちは、さまざまな思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ」に見ることができるのではないでしょうか。イスラエルの民はヨルダン川を渡って直面したのは城壁に囲まれた堅固なエリコでした。彼らには戦う武器はありませんでしたが主は「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければばらない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」と仰せられた主のことばに忠実に従うために、ヨシュアはイスラエルの民がエジプトから導き出され紅海での奇蹟を全員体験したにも関わらず、荒野を通過する際に、飲み水や食料のことで主に求めるのではなく不平不満をもらし、「できることならこの荒野で死にたい。」と言った20歳以上の民が荒野で亡くなるまで四十年間荒野を旅した経験に基づいて、ヨシュアは「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」と命じたのではないでしょうか。民が忠実に神のことばに従ったゆえにエリコは陥落したのでした。今日の聖句が語っている戦いの武器は、エペソ人への手紙6章17節が「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」と、語っているように、防御にも攻撃にも使える「神のことば」ではないでしょうか。「主よ。あなたを私お屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。」と語った百人隊長のように、私たちに与えられている神の武具である神のことばの権威がどんなに威力あるものであるかを考えて純粋なみことばそのものを握って生きようではありませんか。