兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれも誇らせないためです。(コリント人への手紙 第一 1章26節―29節)
1.士師記6章1節―24節
2.ヨハネの福音書12章33節―43節
3.コリント人への手紙 第二 10章12節―17節
人はとかく知能指数や能力、家柄や血筋や学歴で人を評価しがちですが、神の選びは人と異なる部分があることを「兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。」という今日の聖句に見ることができるのではないでしょうか。万有引力を発見した科学者アイザック・ニュートンやアメリカの第16代大統領リンカーン大統領など、この世の知者、権力者、身分の高い者の中にも主が召してくださる方がおられますが、数が多くないのは確かなことですが、テモテへの手紙 第一 2章4節が「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」と語っているように、一般市民だけでなく、この世の知者や権力者、身分の高い者も救われるために、彼らを召されたのではないでしょうか。多くの大学で教鞭をとりテレビで活躍されておられる池上彰氏がテレビで「アメリカには今でも天地万物を神が創造したと信じている人がいるのですね。」と言われたのを聞いたとき、コリント人への手紙第一 1章20節―21節「知者はどこにいるのですか、学者はどこにいるのですか、この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。」を思いました。池上氏の影響力は大きく、ある意味において教祖のような存在になっているのではないでしょうか。パウロの「すべての人のために、また王と高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(テモテへの手紙 第一 2章1節)」という勧めに従って、池上氏が愚かな者のように思われているキリスト者にしか与えられていない特権、すなわち主の御名をもって一般市民のためだけでなく、彼をはじめ政財界、教育界、医学界、影響力があるマスメデイアに携わっている人々の救いのために、祈ろうではありませんか。