何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。(コロサイ人への手紙3章23節)

1.マタイの福音書2531節―40
2.ローマ人への手紙147節―18
3.エペソ人への手紙65節―9

イエス様は弟子たちに「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。(マタイの福音書20章25節―28節)」と、仰せられました。パリサイ人として生きていた時のパウロは、ステパノのメッセージを聞いていても、ステパノを殺すことに賛成しただけでなく、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考え、祭司長たちから与えられた権限をもってエルサレムだけでなく国外の町々にまで出かけて行ってキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上で「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。・・わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは、彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」と、イエス様から使命を与えられて遣わされ、人々に仕える者となったのです。イエス様が「あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。(ヨハネの福音書17章18節)」と、仰せられたようにキリスト者は主に遣わされた者、すなわち人々仕える者とされているのではないでしょうか。数年前に召されましたが、大学生の時にクリスチャンになられ、日本の企業で働かれた経験のある韓国の教会のチェ長老様にお証をお願いしましたところ、「『主よ。クリスチャンとして会社で私はどうすれば良いでしょうか』と祈ると、『人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。(エペソ人への手紙6章6節–7節)』というみことばが与えられたので、そのように働いたら、平社員から一気に部長、工場長、本社の役員へと神様は私に飛び級を与えてくださったのです。」とお話しくださいました。今日の聖句「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」の勧めに則って人々に仕えることは主に仕えていることであることを心に据えて生きようではありませんか。