聖書箇所

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。(マタイの福音書53節)

<関連聖句>

1.詩篇6932節―33
2.マタイの福音書112節―6
3.ルカの福音書189節―14
4.ローマ人への手紙7章15節ー8章2節

5. エペソ人への手紙2章1節ー9節

<メッセージ>

イエス様は「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(マタイの福音書5章20節)」と仰せられました。キリスト者になる前、パリサイ人として生きていた時には律法による自分の義に生き、自分の考えでキリスト者を、教会を迫害していたのですが、キリスト者となったパウロは「私は、私のうち、すなわち、私の内に善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行なっています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のmとりこにしているのを見いだすのです。私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と、心に葛藤を覚え、心の貧しい者とされたのでした。その結果、彼はキリストを信じる信仰によって与えられる神の義を知り、もはや家柄や自分を誇るのではなく、「誇る者は、主を誇りなさい。(コリント人への手紙 第二10章17節)」と人々に勧める人になったのでした。私たちもパウロと同じように、心が高ぶると、主はいかにみじめな者であるかを知らしめるようなことが起こることを許されますが、そのような時、自分に失望したり、自分を責めるのではなく、みじめな者のためにいのちを捧げられた主を見上げ、恵みによって救われていることを、神の義が与えられていることを感謝して生きようではありませんか。