主はモーセに「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、父と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエルをエジプトから連れ出せ。(出エジプト記3章7節)」と仰せられたように、モーセのもとでイスラエルの民はエジプトを出て紅海を渡り、約束の地に向かったのですが、約束の地に入るためには、今日の聖句が「あなたがたと箱との間には、約二千キュピトの距離をおかなければならない。それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。」と語っているように、主は契約の箱との距離を二千キュピト(1キュピトが44.5cmなので、44.5cm×2000キュピト÷100cm=890m)あけるように指示したのは、契約の箱との距離を置かなかった場合、契約の箱のまわりの人々にしか見えないからで、イスラエルの民全員が契約の箱を見るためでした。その理由を「あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。」と語っています。
イスラエルの民が約束の地を目指していたのと同様にキリスト者も約束の地、すなわち天国に向かってこの世を旅しているわけですが、約束の地に入るまでの日々、今まで通ったことのない道を行くのですから、ヘブル人への手紙 12章2節が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と勧めているように「わたしが道である」と仰せられた恵みとまことに満ちておられるイエス様の教えに従って御国を目指して生きようではありませんか。」