イザヤ書61章10節
わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。
<関連聖句>
1.詩篇4篇6節—7節
2.ピリピ人への手紙3章2節—15節
3.テモテへの手紙 第二 4章8節
<メッセージ>
先日イチロー氏の記者会見で、ことばを正確には覚えていないのですが、確か「後悔することはありませんか」という記者の質問に「こんな様子を見せられたら後悔なんかできません。」と答えられていたように思いますが、私は彼の様子を見ながら、また彼が日本を発たれる時の映像を見ながら、箴言14章13節「笑うときにも心は痛み、終わりには喜びが悲しみとなる。」を思い起こしました。
人々から英雄扱いされても、本人は憂いの中におられるように見えました。
ソロモンを訪ねたシェバの女王が「私が国であなたの事績とあなたの知恵とについて聞き及んでおりましたことはほんとうでした。
実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も知らされていなかったのです。
あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。
何と幸せなことでしょう。
いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできる家来たちは。
あなたを喜ばれ、イスラエルの王座にあなたをつかせられたあなたの神、主はほむべきかな。
主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし公正と正義を行わせるのです。
(列王記 第一10章6節—9節) 」とソロモンを称賛し、主を誉めたたえましたが、ソロモンは「私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。
しかも、私の知恵は私から離れなかった。
私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。
実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。
これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった、しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。
風を追うようなものだ。
日の下には何一つ益となるものはない。
(伝道者の書2章9節—11節)」と「日の下」すなわち神を考慮しないこの世が人に与えることができるのは「空の空。
伝道者は言う。
空の空。
すべては空。
(伝道者の書1章2節)」とむなしさしかないことを語ってから結論として「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。
神を恐れよ。
神の命令を守れ。
これが人間にとってすべてである。
(伝道者の書12章13節)」と語っています。
今日の聖句「わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。
主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。」を心に据え、救われていることを、義人とされていることを喜んで生きるとともにイチローさんに福音が届くように祈ろうではありませんか。