私はあなたの御霊から離れて、とこに行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。(詩篇139篇7節ー8節)

1.詩篇16篇6節ー11節
2.エレミヤ書23章23節ー24節
3.ピリピへの手紙2章6節ー11節
4.ペテロの手紙第一3章18節ー22節

イエス様は、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに話されたように(マタイの福音書16章21節)、金曜日に十字架にかけられ、殺されましたが、翌日の土曜日ではなく三日目、日曜日に死からよみがえられたのですが、使徒信条の一節に「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、三日目に死人の内よりよみがり」と告白するように、イエス様は死からよみがえられまでの間、よみにおられたことを語っています。エレミヤ書23章23節ー24節において「わたしは近くにいれば、神なのか。ー主の御つー遠くにいれば、神ではないのか。人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。ー主の御告げー天にも地にも、わたしは満ちているではないか。ー主の御告げー」と主は遍在の方であることを語っていますが、ダビデは「私はあなたの御霊から離れて、とこに行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。」と、天や地だけでなく「よみ」、すなわち死者が住むところにも主はおられることを語っています。ソロモンが「死んだ者は何も知らない。彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられる。(伝道者の書9章5節)」と語っているように、何の希望もないような状態にある時にも、人から忘れられているような時でも、どこにいても「忍耐と励ましの神。望みの神(ローマ人への手紙15章5節及び13節)」である主は常にともにいてくださる偏在の方であることを、助け主である御霊はいつまでも共にいてくださることを忘れずに(ヨハネの福音書14章16節)、確かな真理のみことばをしっかり握り、主を信頼して生きるようにしようではありませんか。