どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。(詩篇90篇14節)
1.ネヘミヤ記8章1節ー12節
2.哀歌3章22節ー26節
3.ヨハネの福音書1章14節ー18節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー9節
ヤコブが「私たちは皆、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。(ヤコブの手紙3章2節)」と語っているように、完全な人はひとりもいないので、予期しないことが起こると、主の存在を忘れて、つぶやいたり、不信仰に陥ったりしてしまうのではないでしょうか。主はエジプトで苦しんでいる民をエジプトから連れ出すためにモーセを選ばれ、モーセを用いて多くの奇蹟をもって神の力、神の愛を示されたのですが、民は欲に関わらず支配されると主の偉大さを忘れ、 エジプトを懐かしむようなことを言って何度も罪を犯しただけでなく、約束の地についての情報を主からいただいていたにもかかわらず、モーセも約束の地を目の前にしながら「私たちより先に人を遣わし、私たちのために、その地を探らせよう。私たちの上って行く道や、入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう。」と言った民のことばに同意し、約束の地に族長たちを遣わし、その地のくだものを持ち帰るように言ったのでした。その結果、再び民は主と主の約束を信じるよりも、約束の地を悪く言った者たちを信じたために、20歳以上で約束の地に入ることができるのはヨシュアとカレブだけでモーセも約束の地を見ても入れないことになったのでしたが、ヘブル人への手紙11章26節にモーセは報いとして与えられるものから目を離さなかったことが語られています。モーセは「どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。」と祈っておられます。私たちも、過去の失敗に座り込んでしまうのではなく、ソロモンは「雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままある。(伝道者の書11章3節)」と、起こってしまった事、過去を変えることはできないことを語っています。哀歌3章22節ー23節が「私たちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。」と語っているように、過去にとらわれずに、日々新たにされていることを忘れずに、毎朝、恵みによって救われていることを喜び、主を賛美しながら、モーセをはじめヘブル人への手紙11章に書かれている信仰者のように、天で主にお会いできる日のことを思って、楽しむようにしようではありませんか。
