私は祈っています。あなた方の愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが真にすぐれたものを見分けることができますように。(ピリピ人への手紙1章9節ー10節)
1.ヨハネの福音書15章9節ー17節
2.コロサイ人への手紙1章3節ー14節
3.コロサイ人への手紙3章3節ー14節
4.ヨハネの手紙第一4章7節ー12節
愛に関することばが四つありますが、神の愛以外はすべての人が生まれながら持っているものですが、神の愛以外の愛は感情に左右されがちなものであり、状況や感情次第で愛が憎しみや嫉妬に変わってしまうようなもろいものではないでしょうか。ところで、神の愛はパウロが「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛(ローマ人への手紙8章39節)」と、ヨハネが「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(ヨハネの手紙第一4章9節ー10節)」と語っているように、十字架にかけられながら人々のためにとりなして祈られたイエス様抜きには考えられないものであるため、パウロが「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心にお注がれているからです。(ローマ人への手紙5章5節)」と語っているように神の愛はキリスト者しか持っていないことがわかります。パウロは「私は祈っています。あなた方の愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが真にすぐれたものを見分けることができますように。」と、真にすぐれたものを見分けるためには、あなたがたの愛、とありますが、それは、私たちに与えられている神の愛が鍵であり、その愛が真の知識と識別力によって豊かになることを祈られました。神の愛は十字架の死によって明らかにされたことを心に据えて、恵みを無駄にしないようにしようではありませんか。
