もしも私が「私の足はよろけています」と言ったとすれば、主よ。あなたの恵みが支えてくださいますように。私のうちで思い煩いが増すとき、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。(詩篇94篇18節―19節)
1.イザヤ書43章1節―7節
2.ローマ人への手紙8章18節―27節
3.テモテへの手紙第二2章1節―14節
4.ペテロの手紙第一5章7節―11節
今日の聖句は「もしも」と、語ってから、「私が『私の足はよろけています』と言ったとすれば、主よ。あなたの恵みが支えてくださいますように。私のうちで思い煩いが増すとき、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。』」と、今ではなく将来に起こり得る状態を想定して、足がよろけるような時も思い煩いが増すような時も恵みと慰めを与えてくださる主を仰ぎ見て生きるように奨励しています。足がよろける状態には、体力的な面と、アサフが悪者の栄えるのを見て、「足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりであった。」と語っているように精神的な面があり、一般的には体力の衰えが死を意識するようにするため、死後に対する答えを持っていないと、不安にかられ、希望を失い、心が萎えて精神面なダメージを受けてしまいますが、パウロは「たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」と、心の状態は、肉体的な衰えに反比例することを語っているのは、すべての人にはこの世を去る時が来ますが、それは天に移されることであるからではないでしょうか。この世にあっては苦悩することが多々ありますが、目には見えませんが恵みに満ちておられるイエス様は、私たちの信仰がなくならないように祈ってくださっているだけでなく、言いようもない深いうめきをもってとりなして祈っていてくださる慰め主である聖霊様を与えてくださったのでした。ペテロが「あなたがたの思い煩いを、いっさいゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです(ペテロの手紙第一5章7節)」と勧めているように、足がよろけるような時も、思い煩いが増すような時も、恵みとまことに満ちておられる主が祈っていてくださることを、いつも共にいてくださり、恵みの御手で支え、強めてくださる主を信じ、ことを忘れずに、救いの喜びを与えてくださる主を、見上げて生きるように心がけようではありませんか。