また、イエスは大声で言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。」(ヨハネの福音書12章44節)
1.ヨハネの福音書1章14節―18節
2.ヨハネの福音書3章16節―21節
3.ヨハネの福音書14章6節―11節
4.ヨハネの福音書17章14節―23節
創世記3章においてアダムとエバは神である主の声を聞きましたが、見ておらず、モーセも「主は、人が自分の友と語るように、顔と顔をとを合わせてモーセに語られた。」とありますが、モーセが「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」と申し上げると「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きることはできないからである。」と仰せられたように(出エジプト記33章11節及び18節―20節)、ヨハネの福音書1章18節が「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」と語っているように、人は神によって創造されたために、神を見たことがなくても神の存在を潜在的に知っているのですが、パウロが「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。(ローマ人への手紙1章20節―23節)」と語っているように、三位一体の神を知らないために、自分たちの考えでさまざまな神々を祭り上げていますが、ユダヤ人たちでさえイエス様が神であることを認めない状況下においてイエス様は大声で『わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。』」と仰せられたのでした。偶像崇拝をしている人々の心の目が開かれイエス様を信じる信仰に導かれるように祈りましょう。