次のような主のことばが私にあった。「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々の預言者と定めていた。」(エレミヤ書1章4節ー5節)

1.イザヤ書44章1節ー8節
2.イザヤ書46章1節ー13節
3.エペソ人への手紙1章3節ー19節
4.ガラテヤ人への手紙1章1節ー5節 

主はエレミヤに驚くべきことに「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々の預言者と定めていた。」と仰せられました。イエス様は弟子たちに「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。(ヨハネの福音書15章16節)」と仰せられましたし、パウロも「使徒となったパウロー私が使徒となったのは、人間から出たことではなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのですー(ガラテヤ人への手紙1章1節)」と語っているように、キリスト者を、教会を激しく迫害していたにもかかわらず、驚くべきことに使徒とされたのでした。そのパウロは「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。(エペソ人への手紙1章3節ー5節)」と、箴言19章21節も「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」と語っています。試練に会えば、ヨブは神をのろうにちがいないと確信していたサタンにヨブを試みることを主は許されましたので、自然災害や略奪隊、すなわち人災によって妻以外の家族や財を失いましたが、彼は主をのろうようなことはしなかったのでした。主がサタンにヨブを試みることを許されたのは、どんなことがあっても主をのろうようなことはしないことをご存知であったからではないでしょうか。主はエレミヤに仰せられたように、私たちに以上に私たちのことをよくご存知であることを、エレミヤは預言者、パウロは使徒としてのご計画があったように、私たちひとり、ひとりにも主のご計画があること、主に選ばれた存在であり神の子とされていること、私たちが耐えられないと思っても、耐えられない試練を与える主ではないこと、試練にも意味があることを忘れずに、他者と自分を比較せず、主を信頼して生きるように心がけようではありませんか。