わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)
1.ルカの福音書12章13節ー21節
2.ヨハネの福音書16章19節ー33節
3.ヨハネの福音書20章19節ー22節
4.ピリピ人への手紙4章6節ー7節
イエス様は「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」とイエス様が与えてくださる平安は、世に属するようなものではなく、イエス様ご自身の平安であることを話されてから、「あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」と命じられました。ところで、イエス様は「この世が与えるのとは違います。」と、この世が与えることのできる平安があることを示唆しておられます。イエス様は畑が豊作に金持ちのたとえ話をされて、「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」と心の中で言った金持ちのように経済的に問題がなければ平安に過ごせるかと思われがちですが、かつて、英字新聞のお悩み相談の回答者であったアン・ランダー女史に「色々な問題のご相談が寄せられると思いますが、何か共通点があるでしょうか」との問いかけに、彼女は「一言で言えます。それは恐れです。今健康であっても『病気になったら、どうしよう』と悩む人、今は経済的に問題なくても『会社が倒産したら、どうしよう』など様々ですが、一番の恐れは死にたいする恐れです。」と答えられました。この世が与える平安は一時的なもので、状況が変わると恐れたり、思い煩ったり、不安になって心の平安を失ってしまうように非常に危ういものではないでしょうか。特に、死後の保証がないと、どんなに経済的に恵まれていても、健康であっても、この世の栄光を手にしても、真の平安を得ることはできないのではないでしょうか。ですから、イエス様はこの世が与える平安とは違うことを、「わたしの平安」とは、復活によって死に勝利されたことに関わるものではないでしょうか。イエス様を信じることによって、天に国籍を持つ者とされていることを、この世を去った瞬間パラダイスで主にお会いし(ルカの福音書23章43節)、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない天国(黙示録21章4節)で永遠に生きる保証が与えられていることを喜ぼうではありませんか。
