彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。(ヨハネの福音書10章4節)

1.申命記1章19節ー33節
2.ヨシュア記3章1節ー4節
3.サムエル記第一17章34節ー50節
4.歴代誌第一14章8節ー16節

「彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。」はイエス様のおことばですが、今日、注目したのは「彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。」で、イエス様は私たちの先頭に立って行かれる方である、ということです。モーセが「主はあなたがたが宿営する場所を捜すために、道中あなたがたの先に立って行かれ、夜は火のうち、昼は雲のうちにあって、あなたがたの進んで行く道を示されるのだ(申命記1章33節)」と、またダビデはゴリアテに「おまえは、剣と、槍と、投げ槍をもって、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの先陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。(サムエル記第一17章45節)」と、主ご自身がダビデに「バルサムの樹の上から行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは戦いに行け。神はすでに、ペリシテ人の陣営を打つために、あなたより先に出ているから。(歴代誌第一14章15節)」と仰られたように、旧約聖書の記事に、主が先頭に立って行かれることが顕著に見られます。主は日々キリスト者を導いてくださるだけでなく、戦いにおいても先陣の神として、イエス様は十字架で殺されましたが、復活をもって、悪魔に完全に勝利され、キリスト者に勝利を与えられたけでなく「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14章6節)」と仰せられたように、天国へのいのちの道を開かれたのでした。今日の聖句の後半が「すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。」と語っているように、主の声であるみことばが勧めているように、パウロがキリストを見ならっているように私たちも主を見ならって、主が私たちを愛し、赦してくださったように、私たちも互いに赦しながら聖霊によって与えらている神の愛で生きるように心がけようではありませんか。