主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。馬は戦いの日のために備えられる。しかし救いは主による。(箴言21章30節ー31節)
1.イザヤ書44章9節ー19節
2.ヨハネの福音書3章1節ー17節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー31節
4.エペソ人への手紙2章1節ー9節
律法による自分の義に生きていたときのパウロはナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えて祭司長から権限をいただいてキリスト者を迫害するためにエルサレムだけでなく、国外までも出かけていましたが、ダマスコにへの途上でイエス様から声かけられ、まさか自分がキリスト者になるとは、その上、使徒となるとは思ってもみなかったでしょうが、主を、キリストを信じる信仰によって神から与えられる義を、「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。』知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。(コリント人への手紙第一1章18節ー20節)」と語っているように、神の知恵を、そして、行いによってではなく主の恵みによって救われることを知る者となられたのでした。近年AIが、ロボットが開発されて人の知恵がもてはやされる一方で、AIにコントロールされてしまうのではないか、という不安ももたらされていますが、今日の聖句が「主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。馬は戦いの日のために備えられる。しかし救いは主による。」と語っているように、この世や人の知恵は永遠の死をもたらす罪や、罪を犯すように仕向けるサタンの力から救う力はなく、天地万物を創造された主にしかないことを心に据えて、地の塩、世の光として生きるために、この世の知恵に惑わされないように、主が救い主であることを忘れずに、神の知恵である真理の、恵みのみことばをしっかり握って生きるように心がけようではありませんか。
