主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。(詩篇23篇1節ー2節)

1.申命記1章19節ー33節
2.歴代誌第一14章8節ー17節
3.マタイの福音書6章5節ー13節及び26節ー33節
4.ヨハネの福音書10章1節ー16節 

「あなたは、あのペリシテ人のところに行って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。」と、言ったサウル王にダビデは「しもべは。父のために羊の群れを飼っています。ししや、熊が来て、群れの羊を取っていくと、私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから」と語るとともに「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手から救い出して草さいます。」と、申し上げたように、ダビデ自身が羊飼いでしたから、「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」と、主と個人的な関係があることを、飢え渇きのない人生を証ししています。私たちはとかくあれもこれも必要と考えがちですが、イエス様は私たちの父なる神は、私たちがお願いする先に、私たちに必要なkものを知っておられので、異邦人の真似をして、同じことばをただ繰り返して祈らないように警告されてから、「こう祈りなさい。」と、いわゆる主の祈り教えてくださり、最終的に、アメリカファースト、日本ファースト、東京ファーストでなく「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」と満ち足りた心を伴う信仰の秘訣を語っています。ところで、ダビデはさらに「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」と、羊飼いの役目は羊を守り、導くという二つの働きについても語っています。主は後方からエジプト軍、前方には紅海と四面楚歌のような状態において主は民を救うために紅海の海水を二つに分けられ、民が対岸に渡り終えると、海水を元に戻されたのでエジプト軍はひとり残らず溺死したのでしたし、荒野において、主は先立って行かれ民が宿営する場所を捜すために夜は火のうちに、昼は雲のうちにあって行く道を示されたのでした。主は十字架の死をもって天国へのいのちの道を開いてくださったのでした。どんな時にもいつもともにいてくださり、私たち以上に私たちをよくご存知な主は、私たちの必要をご存知なだけでなく、必要なものを与えてくださる方であることを、今日の聖句「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」を心に据えて主を信頼して生活するように心がけようではありませんか。