人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。(ヤコブの手紙1章20節ー21節)
1.詩篇37篇7節ー9節
2.使徒の働き20章29節ー32節
3.エペソ人への手紙4章17節ー32節
4.テサロニケへの手紙第一1章4節ー7節
かつてイエス・キリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知らずに律法による自分の義に生きていた時のサウロとも呼ばれていたパウロはナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えてキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコへの途上で「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」と声をかけられ、キリスト者となったパウロは「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペソ人への手紙2章3節)」とイエス様を信じる前の状態と神の怒りについて語っていますが、ヤコブは「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」と人の怒りについて語っています。パウロは「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」と警告してから「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」と勧めています(エペソ人への手紙4章26節ー27節及び32節)。神の怒りは罪に対してですか、イエス様を信じたなら、神の怒りではなく神の愛、永遠のいのちが与えられるのですが、被害者の方がよく「一生赦しません。」と公言されるように人の怒りには赦しがないのではないでしょうか。ヤコブは続けて、キリスト者が留意すべき点を「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」と語っています。キリスト者は罪や死、サタンの手から救われ、永遠のいのちが与えられていますが、日々の生活において、たましいが神のことを思わないで、人間関係のみに心が向いてしまったり、肉の思いにならないようにみことばを知識として頭に蓄えるよりも、心で受け止め、心に植え付けられているみことばにアーメンと言って、恵みのみことばで生きるように心がけようではありませんか。
