どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐を持たせてくださいますように。(テサロニケへの手紙第二3章5節)

1.ローマ人への手紙4章25節ー5章5節
2.ローマ人への手紙15章1節ー5節
3.エペソ人への手紙4章26節ー32節
4.コロサイ人への手紙3章2節ー15節 

イエス様は「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」と命じられてから、「それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。」と仰せられてから「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」と具体的に話されるとともに「自分を愛してくれる者を愛したらといって、何の報いがあるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟だけにあいさつしたからtごいって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするのではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」とも命じられ、、キリスト者が十字架で明らかにされた神の愛に生き、迫害する者のために祈り、神の子として生きるために天におられる私たちの神のことを考え、完全な者として生きるように命じられただけでなく(マタイの福音書5章43節―48節)、十字架につけられたイエス様は人々からあざけられ、ののしられても、彼らのために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」ととりなて祈られ、神の愛を示されたのでした。ところで、神の愛は主によって与えられた聖霊によってのみ心に与えられるものであることを、人々からののしられてもののしり返さずに、神の御心に生きるために忍耐されたキリストの忍耐を忘れずに、神にはご計画があることを、すべてのことを益としてくださることを心に据えて、パウロが「どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。」と祈られたように、私たちも私たちの心を主がお導きくださるように互いに祈るように心がけようではありませんか。