主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ことができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ書40章31節)

1.詩編37篇7節ー9節
2.詩編33篇20節ー22節
3.詩編42篇1節ー11節
4.哀歌3章25節ー26節

ソロモンは「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」と語ってから「植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がる」と、日常生活に経験する様々な対照的なことを語ってから「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」と神の時があることを語ってから「神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と、神は人をご自身のかたちとして創造されたので、人は永遠(口語訳:永遠の思い)を持っていますが、神ではないので、理解できないことが多々あることを語っています(伝道者の書3章1節ー11節)。詩編42篇3節に「私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中『おまえの神はどこにいるのか』と私に言う間。」と語ってから「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」と語ってから、再度「私に敵対する者どもは私の骨々が打ち砕かれるほど、私をそしり、一日中、『お前の神はどこにいるのか』と私に言っています。」と語ってから「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。」と前回と違って「私の」と二度語っておられることから、神との関係が確立したことがわかります。ソロモンが語ったように主の時があることを心に据えて、主からの力を受けるために今日の聖句も「主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ことができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」と、ソロモンが語ったように主の時があることを心に据えて、 ソロモンが語ったように主の時があることを心に据えて、主を待ち望んで生きるようにしようではありませんか。