満ち足りる心をともなう敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙第一6章6節)

1.ルカの福音書12章13節ー31節
2.ヨハネの福音書6章32節ー35節
3.ヨハネの福音書10章8節ー16節
4.ヨハネの手紙第一5章5節13節、

パウロは今日の聖句の前句において、敬虔を利得の手段と考えている人々がおられることを、そのような生き方をする人々の間には絶え間ない紛争が生じることを指摘してから、興味深いことに、大きな利益を受ける道は、単なる敬虔さではなく、満ち足りる心をともなう敬虔さにあることを語っています。ところで、イエス様が「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちをお与えになります。」と話されると、人々が「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」と申し上げると、イエス様は「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」と(ヨハネの福音書6章32節ー35節)、イエス様を信じる者には、どんなときにも心が飢え渇くことがない、すなわ満ち足りる心を与えてくださることを、また、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。(ヨハネの福音書6章47節)」と永遠のいのちを与えてくださることを約束されたのでした。パウロは敬虔の奥義は人としてこの世に遣わされたイエス様である事を語っています(テモテへの手紙第一3章。ですから、パウロは弱く、恐れおののいた時、十字架につけられたイエス様のことだけを思い、神の力をいただいたのでした(コリント人への手紙第一2章1節ー4節)。主は私たちの弱さをご存知なだけでなく最善をなしてくださる方であり、復活を持って永遠のいのちが確かにあることを証明され、この世が絶対与えることのできない豊かさや死に対する恐れからも解放してくださった事を、祈りをお聞きくださることを忘れずに、感謝をもって心のうちを正直に主に申し上げ、心と思いを守ってくださる主からの平安をいただこうではありませんか。