まことに主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。(歴代誌第一16章25節ー26節)
1.詩篇82篇1節ー7節
2.イザヤ書44章6節ー25節
3.イザヤ書46章3節ー13節
4.コリント人」への手紙第一8章1節ー6節
神のことばである聖書の冒頭に「初めに、神が天と地を創造した。(創世記1章1節)」とあり、その後神はことばによって光や動植物を創造されてから、創世記1章26節ー27節に「神は仰られた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。・・・・・神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」と語っているように、人は神によって創造されたにも関わらず、元は神を誉めたたえる御使いであったにもかかわらず、被造物の立場でありながら、「神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。」と高ぶったために地に落とされた悪魔の善悪の知識の木から取って食べたなら神のようになれる、ということばを信じてエバがまず食べ、エバから渡されたアダムも食べて悪魔と同じ罪を犯したのですが、「神のようになれる。」ということばが象徴しているように神の存在を知っているがゆえに、自分たちの考えでさまざまな神々を祭り上げて心の満足を得ているのではないでしょうか。しかし、詩篇82篇1節が「神は神の会衆の中に立つ。神は神々の真ん中で、さばきを下す。」と、語っているように、人を惑わした悪魔や神々と言われる者はやがて神に裁かれ火と硫黄との池、すなわち地獄に投げ込まれて永遠に昼も夜も苦しみ続けることを黙示録20章10節は語っています。ですから、今日の聖句は「まことに主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。」と天地万物を創造された神とこの世の神々との違いを語っているのではないでしょうか。死をもたらす罪から、永遠の死から救い、永遠のいのちを与えてくださった主を誉めたたえて生きようではありませんか。