律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。(ローマ人への手紙5章20節ー21節)
1.ヨハネの福音書1章14節ー17節
2.ローマ人への手紙3章19節ー28節
3.ローマ人への手紙6章17節ー23節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節
人は規則を多くすれば世の中は良くなると考えがちですが、規則が増えれば増えるほど今日の聖句が「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。」と語っているように違反をしてしまいがちになるのではないでしょうか。しかもヤコブが「もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、『あなたの隣人をなた自身のように愛せよ』という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いはりっぱです。しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。(ヤコブの手紙2章8節ー10節)」と、パウロが「律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。」と語っています。ところで、今日の聖句は「しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」と、救いの道を語っています。後悔するようなことを言ったり行ったりした時、自分を裁くのではなく恵みの座で十字架を仰ぎ見るとともに死からよみがえられたイエス様を見上げて、ヘブル人への手紙10章14節「キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物よって、永遠に全うされたのです。」や、ヨハネの福音書1章15節「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上に恵みを受けたのです。」を、永遠のいのちが与えらていることを思い起こし、主をほめたたえて生きようではありませんか。