神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネの福音書3章16節ー17節)
1.ヨハネの福音書5章19節ー24節
2.ローマ人への手紙6章17節23節
3.エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.テモテへの手紙第一2章1節ー6節
パウロはキリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知らずにパリサイ人として律法による自分の義に生きていた時には神に対して熱心でしたがナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきとキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者を迫害するために向かっていたダマスコの途上でイエス様から声をかけられ、キリスト者となり神のみこころをご存知な聖霊に満たされた彼は「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。(テモテへの手紙第一2章4節ー5節)」と、ヨハネが「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」と語っているように、神の御心を、キリスト・イエスにある神の愛を知る者となられ(ローマ人への手紙8章38節ー39節)、迫害されても信仰を失わなかったのは、神が復活をもって死に勝利するいのをお示しくださった事と「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。(ヨハネの福音書6章39節ー40節)」といのちの保証を約束された主のことばによるのではないでしょうか。救いは私たちの行いに関係なく、どんなことがあっても確かなものであることを忘れないようにしようではありませんか。