幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座につかなかった、その人。まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。(詩篇1篇1節)

1.ヨシュア記1章1節ー9節
2.詩篇19篇7節ー8節
3.エペソ人への手紙4章17節ー32節
4.テモテへの手紙第二3章16節ー17節

ことばのわなを仕掛けたり、ねたみから十字架にかけるように群衆を扇動し、十字架にかけられたイエス様をあざけったり、ののしったようなユダヤ人のように、キリストを信じる前はこの世を支配している悪魔や悪霊の影響下にあったのですが(ヨハネの福音書8章43節ー44節、エペソ人への手紙2章1節ー2節)、神はそのような悪魔の支配下にある絶望的な状態から救うために御子イエス様をお遣わしになられ、救いの道を、人が生きるべき道を示されたのでした。今日の聖句は「悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座につかなかった、その人は」と、幸いなことについて留意すべき点を具体的に語っていますが、それはキリストを信じることによってこの世を支配している悪魔や悪霊から自由にされ、神の子としての特権が与えられ、神の怒りからも救われているために私たちの歩みは主によって導かれ、罪赦され、いのちの道を歩む者とされ、自分を義人だと自任して他の人を見下し、十字架にかけられたイエス様をあざけった祭司長や律法学者のようではなく、ののしっていた犯罪人のひとりが(マルコの福音書15章32 節)、イエス様が「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と、とりなされたのを聞いて、続けてイエスさまに悪口を言っているもうひとりの犯罪人に「おまえは神をも恐れないのか」とたしなめてから「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください(ルカの福音書23章42節)」と告白したように、主を知ることによってあざける者と同じ座につかない者とされていること、すなわち、この世と調子を合わせるのではなく、主の教えを喜びとし、昼も夜も、どんな時にも、主の教えである恵みのみことばを喜び、しっかり握って生きるようにしようではありませんか。