昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。(ローマ人への手紙15章4節)
1.ヘブル人への手紙11章1節ー39節
2.ヤコブの手紙1章2節ー4節
3.ヤコブの手紙5章1節ー11節及び17節ー18節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー7節
イエス様は弟子たちに「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネの福音書16章33節)」と励まされました。パウロは「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。」と驚くべき発言をされましたが、「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれているからです(ローマ人への手紙5章1節ー5節)」と、患難が意味する事と希望の確かさを語っていますが、その根底には今日の聖句「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。」があるのではないでしょうか。ヤコブは「苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、 あわれみに満ちておられる方だという事です。(ヤコブの手紙5章9節ー11節)」と励ましてくださっています。患難や試練をパウロやヤコブ(ヤコブの手紙1章2節)が勧めているように喜ぶことができなくて悲しんでも(ペテロの手紙第一1章6節)、自分を責めたり、自分の力で頑張ろうとするよりも、十字架のイエス様を仰ぎ見て神に愛さていること、やがてパラダイスでイエス様にお会いできることを思うと不思議に信仰と耐える力が与えられるのではないでしょうか。