すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。(ヤコブの手紙1章17節)
1.ヨハネの福音書1章1節ー17節
2.ローマ人への手紙6章17節ー23節
3.エペソ人への手紙2章1節ー9節
4.ヤコブの手紙3章13節ー17節
パウロは「私には自分がしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。・・・私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。・・もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住む罪です。・・・私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と悩んだ末に「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ、神に感謝しています。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。(ローマ人への手紙7章15節ー8章2節までの抜粋)」と、救いは御子イエス様を人としてこの世にお遣わしくださったあわれみ豊かな神によるものであり、行いによるものではなく、恵みによるものである(エペソ人への手紙2章1節ー9節)、という答えを得たのでした。今日の聖句が「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。」と語っているように、キリスト者には神の子としての立場が与えられていることは揺るぎない事実であり、神の知恵も永遠のいのちも(ローマ人への手紙6章23節)すべて神から与えられたものであることを、神は完全であられるだけでなく不変の方であることを心に据えて、この世が与えることのできない主からの平安をいただいて生きようではありませんか。