人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。彼らがこういうことを行うのは、父をもわたしをも知らないからです。(ヨハネの福音書16章2節ー3節)

1.ヨハネの福音書21章18節ー19節
2.使徒の働き4章1節ー31節
3.使徒の働き25章23節ー26章23節
4. ローマ人への手紙10章1節ー13節 

パウロはパリサイ人として律法による自分の義に生きていたときにはナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考え、キリスト者に対して激しい怒りに燃え、エルサレムだけでなく国外の町々にまで出かけて行きキリスト者を迫害していたのはイエス・キリストが彼らが待ち望んでいたメシアであることを知らなかったからでした(使徒の働き26章。キリスト者となったパウロはキリスト者を迫害する同胞の民について「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。(ローマ人への手紙10章1節ー3節)」と証しされました。イスラム教国圏や独裁者に支配されている国においてキリスト者になることは命がけですが、それは、イエス様が弟子たちに「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。彼らがこういうことを行うのは、父をもわたしをも知らないからです。」と仰せられたように、イエス様を、神を知らないことにあることを忘れずに、イエス様が、ステパノが執りなして祈られたように、彼らがこの世の神々、すなわち悪魔や悪霊から解放されイエス様を、神を知ることができるように執りなして祈ろうではありませんか。