私は言う。「知恵は力にまさる。貧しいひとりの知恵のある者がいて、自分の知恵はさげすまされ、彼の言うことも聞かれない。」知恵ある者の静かなことばは愚かな者の間の支配者の叫びよりは、よく聞かれる。知恵は武器にまさり、ひとりの罪人は多くの良いことを打ちこわさす。(伝道者の書9章16節ー18節)

1.サムエル記第一25章1節ー35節
2.マタイの福音書26章48節ー56節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー31節
4.コリント人への手紙第二8章1節ー9節 

パウロの「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。(コリント人への手紙第二8章9節)」ということばから、ソロモンが「『知恵は力にまさる。貧しいひとりの知恵のある者がいて、自分の知恵はさげすまされ、彼の言うことも聞かれない。』知恵ある者の静かなことばは愚かな者の間の支配者の叫びよりは、よく聞かれる。」と語っている貧しい者はパリサイ人や律法学者からことばの罠を仕掛けられた神の力であり神の知恵であるイエス様、と捉えることができるのではないでしょうか。イエス様が「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と真実を語られたのに、パリサイ人たちは「あなたの証言は真実ではない。」とさげすみ聞く耳を持たなかったのですが(ヨハネの福音書8章12節ー13節)、イエス様が「父よ。御名の栄光を現してください。」と申し上げると、天から「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」と声があり主の願いは聞かれたのでした(ヨハネの福音書12章27節ー28節)。イエス様は「剣を取る者はみな剣で滅びます。」と仰せられました(マタイの福音書26章52節)。人の知恵や武器によって平和を生むことはできませんが、神の知恵は救いをもたらし平和をもたらしてくださることを心に据えて、神の知恵であるみことばに生きるようにしようではありませんか。