わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。(ヨハネの福音書15章12節)
1.サムエル記第二7章12節ー15節
2.ヨハネの福音書13章34節ー35節
3.コロサイ人への手紙3章2節ー15節
4.ヨハネの手紙第一4章7節ー17節
イエス様は「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」と、キリスト者が生きる道を示されたのですが、イエス様が仰せらた「愛する」という動詞は「アガパオ=神の愛」で、それは人情や友情の領域を超越した最も崇高な愛で愛するように仰せられたのでした。ところで、パウロは神の愛は聖霊によってキリスト者の心の中に注がれていることを語っていますが(ローマ人への手紙5章5節)、御霊はイエス様を信じる者に与えられるがゆえに、愛の実を結ぶ秘訣をイエス様は「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」と仰せられたのではないでしょうか。罪や死から贖われて神の義で生かされているキリスト者でもこの世で生きている限りさまざまな間違いをしますし、怒ったり憤ったりしてしまいますが、サタンに機会を与えないように、カインのように罪を犯さないようにその日のうちに解決をするために「神がキリストにおいてあなた方を赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」と勧めているのは(エペソ人への手紙4章26節ー32節)、神の愛は赦しだからではないでしょうか。主は弟子たちの弱さをよくご存知で、三度イエス様を知らないと言ったペテロを責めるようなことはせず、かえって信仰がなくならないように祈られたのでした。完全な人はひとりもいないことを忘れずにイエス様が願っているように神の愛に生きるために互いに赦し合いながら生きるようにしようではありませんか。