神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。(ペテロの手紙第二1章2節ー3節)
1.詩篇23篇1節ー6節
2.ヨハネの福音書1章1節ー17節
3.使徒の働き3章1節ー16節
4.コリント人への手紙第一1章18節ー31節
三度イエス様を否定しましたが、死からよみがえられたイエス様に再会し、聖霊に満たされたペテロはもはや人を恐れることなく旧約聖書の預言を引用し、イエス様が仰せられたようにエルサレムでイエス様について大胆に証しをされただけでなく、「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。」と、キリスト者が自覚すべき点をあげて励ましておられます。パウロがこの世の知恵では神を知ることがないけれども「ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。(コリント人への手紙第一1章20節ー21節及び24節)」と、天地万物を創造された力、復活の力、罪や死から救う力、永遠のいのちを与えることができる神の力はキリストによって明らかにされただけでなく、キリスト者には与えらていることを語っています。私たちは完全ではないので弱さを覚えて思い煩ったり、恐れたり、心配したり、後悔するような事を言ったり行ったりしますが、罪に定められないように、信仰がなくならないようにとりなして祈っていてくださる恵みとまことに満ちておられる主を見上げ、主からの平安をいただくとともに、神を敬って信仰生活を過ごすために神の力が与えられている事を思い起こし、互いに祈り、励まし合いながら生きるようにしようではありませんか。