この世の富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように、また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。(テモテへの手紙第一6章17節)

1.詩篇23篇1節ー6節
2.マタイの福音書6章19節ー34節
3.エペソの手紙1章1節ー3節
4.ペテロの手紙第一1章18節ー21節

イエス様は人々に「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」と仰せられてから、畑が豊作になったので「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」と自分に言い聞かせた金持ちに対して神は「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」と言われる、と例え話もって話されてから「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」と警告されたのでした(ルカの福音書12章13節ー21節 )。イエス様は「神にも仕え、富にも仕えることはできません。(マタイの福音書6章34節)」と仰られました。エペソの教会には金持ちがおられたのでしょう。ですから、パウロはエペソの教会を牧しているテモテに「この世の富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように、また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」と勧告されたのではないでしょうか。十数年前になりますが、ある教会で主人が福音を語っている最中に、会社の社長さんで役員の方が通訳をしている私のところに来られ「コンサートと案内しているのですからお話はやめてください。」と書いた紙を渡されました。本来、私は臆病者なのに不思議にたじろぐことがなかったのは聖霊様が促されたのだと思うのですが、私が皆さんに「今渡された紙に何が書いてあるのか知りたいですか?」と尋ねると、みなさんから「知りたいです。」との声が上がったので、それを読むとともになぜ主人が福音を語るのかを、十字架と復活についてをかえってはっきりお証しさせていただく機会になったのは、背後に主のお働きがあったと思います。教会に仕えておられるお金持ちのクリスチャンの方々を存じ上げている私にとって驚きの経験でした。確かに富は高ぶりをもたらしてしまう危険性がありす。この世が与えることのできない豊かさを、永遠のいのちを与えてくださっている神を信頼し、日常生活において経験する様々な出来事を益としてくださり、悩んでも苦しんでもそれらのものを益としてくださり、神の栄光を現してくださるがゆえに、悲しみを喜びに代えてくださり、やがてイエス様にお会いできるという楽しみを与えてくださる神に望みを置いて生きるようにしようではありませんか。