わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43章7節)
1.ヨハネの福音書12章20節ー28節
2.ヨハネの福音書21章15節ー19節
3.コリント人への手紙第一6章19節ー20節
4.コリント人への手紙第二3章9節ー18節
今日の聖句は「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」と神の民とされた者に対する主からのメッセージを語っています。パウロは、エペソ人への手紙2章で、キリスト者になる前の状態について、生きていても、実際は自分の罪禍と罪との中に死んでいた者であり、「自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」と、今日の聖句とははるかに異なった立場にあったことを語るとともに、イエス様を信じることによって新しく生まれた者、神の作品となり、神の怒りからも解放され聖霊の宮とされ、御霊なる主のお働きによって、主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられる立場にあることを語っています(コリント人への手紙第二3章18節)。イエス様は神の栄光を現すために苦しみを受け、殺されることを思って、心の葛藤がありましたが(ヨハネの福音書12章27節)、「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」と、ご自身と感情を父なる神に捧げ、十字架の死と復活をもって神の栄光を現されたのでした。一番厳しい戦いは自分を捧げられない感情との戦いではないでしょうか。そのような戦いに勝利するために、身代わりとなってくださったイエス様が経験された痛みを、苦しみを思い起こそうではありませんか。