あなたがたは肉によってさばきます。わたしはだれをもさばきません。しかし、もしわたしがさばくなら、そのさばきは正しいのです。なぜなら、わたしひとりではなく、わたしとわたしを遣わした方とがさばくからです。(ヨハネの福音書8章15節ー16節)

1.ヨハネの福音書3章16節ー21節
2.ヨハネの福音書5章19節ー節30節
3.ヨハネの福音書8章1節ー12節
4.コリント人への手紙第一4章3節ー5節

イエス様が「あなたがたは肉によってさばきます。わたしはだれをもさばきません。」と、ヨハネの福音書3章17節が「神が御子を遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」と語っているように、神はまず罪人を救うために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになったのでしたが、自分の義に生きていた時のパウロは、そのことがわからずに、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上でイエス様から「サウロ、サウロ。なぜ私を迫害するのか」と声をかけられ、自分が考えていたこと、行ったことが間違いであったことを知らされたのでした。キリスト者となったパウロは「私にとっては、あなた方による判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、各人に対する称賛が届くのです。(コリント人への手紙第一4章3節ー5節)」と、十字架によって実現された恵みの凄さを語っています。イエス様は「しかし、もしわたしがさばくなら、そのさばきは正しいのです。なぜなら、わたしひとりではなく、わたしとわたしを遣わした方とがさばくからです。」と仰せられました。主は罪と妥協することができませんんから、主の前に誇ることができる人はひとりもいないのではないでしょうか。ハロインを楽しんでいる世界中の人々に福音が届き、恵みに満ちておられるイエス様を知ることができるように祈ろうではありませんか。