だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる、「恐るな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」(イザヤ章43章1節)
1.出エジプト記33章12節ー17節
2.イザヤ書45章1節ー7節
3.ルカの福音書19章1節ー10節
4.使徒の働き26章2節ー20節
ナザレ人イエスに強硬に敵対すべきだと考えてサウロとも呼ばれていたパウロはキリスト者を迫害するためにダマスコに向かっていましたが、その途上で「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」とイエス様から名をもって呼ばれたのでした。やがてキリスト者になったパウロは、今日の聖句が「だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる、『恐るな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。』」と語っているように、エペソの聖徒たちには「私たちは神の作品であって、良い行いをするためじキリスト・イエスにあって造られたのです。(エペソ人への手紙2章10節)」と、コリントの教会の聖徒たちには「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。(コリント人への手紙第一6章19節ー20節)」と、キリスト者はイスラエルの民同様、神のものとされていることを自覚するように、贖われた者としてどのように生きるべきかを勧めています。このところ人々は平和を求めていますが、かえってあちこちで争いが起こっていますが、主は贖われた者に「恐るな。」と仰せられたのは、神以上に力のある者はいないからではないからではないでしょうか。贖われていることを感謝するともに、人々が恐れの代わりに平安を与えてくださるイエス様を知り、信じることができるように祈ろうではありませんか。