キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られたということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙第一1章15節)
1.マルコの福音書2章13節ー17節
2.ヨハネの福音書3章16節ー18節
3.ローマ人への手紙5章6節ー11節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節
イエス様は弟子たちに「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。彼らがこういうことを行うのは、父をもわたしをも知らないからです。(ヨハネの福音書16章2節ー3節)」と仰られたように、サウロとも呼ばれ、パリサイ人として生きていたときのパウロはステパノを殺すことに賛成しただけでなく、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えて自らもキリスト者を迫害していたのでしたが、キリスト者を迫害するために向かっていたダマスコへの途上で「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」と言う声を聞いてパウロが「主よ。あなたはどなたですか」と尋ねると、イエス様から「わたしはあなたが迫害しているイエスである。起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人とし任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。」と、キリストの証人とされ、「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られたということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」と、イエス様が御降誕された目的とみことばの確かさを証しされたのでした。パウロのように自分のみじめさを思い知らされた時、今日の聖句を思い起こし、救われていることを感謝して生きようではありませんか。